太上神社

陰陽道と安倍晴明
陰陽道とは、古代の中国で生まれた自然哲学思想、陰陽五行説を起源として、今から1600年前に日本にもたらされ、その後神道、道教、仏教などからも様々な影響を受けて日本独自の発展を遂げた天文・暦・易学などの体系です。安倍晴明(921年-1005年)は、平安時代の陰陽師で鎌倉~明治時代初期で陰陽寮を統括した安倍氏流土御門家の祖。陰陽師賀茂忠行・保憲父子に陰陽道を学び、天文道を伝授されたといいます。花山天皇の信頼を受け、晴明が占いや陰陽道の儀式を行ったといわれ、花山天皇の退位後は、一条天皇や藤原道長の信頼を集めるようになり、その事跡は神秘化されて数多くの伝説的逸話を生んでいます。
当神社に伝わる「太上神仙鎮宅霊符」。
天之御中主神(太上神仙鎮宅霊符尊)は宇宙創造の中心とされた「北極星」や「北斗七星」を神格化したものとも言われ、陰陽道最高の神とされています

土御門家とは
平安時代中期~後期の名高い陰陽師・安倍晴明の末裔として代々朝廷に仕え、日本の暦の制定を行うなど、全国の陰陽師の中心として栄えてきた陰陽道宗家。江戸時代には天保3年(1683年)、土御門泰福が陰陽師頭になった時に全国の陰陽師の統括と、造暦の権利を掌握。泰福により独自の神道理論が打ち立てられ土御門神道が開始され、幕末には土御門家の陰陽道組織化が始まり全国に広まりました。しかし、明治維新の近代化推進で暦を西洋暦に合わせるため、明治3年(1870年)陰陽寮が廃止となり、明治5年(1872年)には陰陽道が迷信として禁止されました。その後土御門家は子爵に任じられ、貴族院議員として政治の道を歩むことに。土御門家の執事をしていた田邉寅三郎は大日本陰陽会(現公益社団法人日本易学連合会)副総裁であった土御門凞光(旧姓三室戸)の下で陰陽道、易占の振興に尽力しました。大日本陰陽会の総裁は凞光の従兄弟になる伊勢神宮大宮司の三室戸正光の要継子敬光。昭和17年(1942年)4月には陰陽道を研究していた藤田乾堂(義男)が中心となって「土御門神道同門会」が結成され、当時の土御門子爵家当主・土御門凞光が総裁となりました。田邉寅三郎は昭和19年に「土御門神道同門会」の副会長に就任しています。
生前の田邉寅三郎